高いところが好きだ。身近な例をあげれば、屯所の屋根の上が好きだ。
遠くの景色までよく見えるし、すぐ下で山崎なんかが俺のこと探してたって、気がつきやしねえ。風が気持ちいいし。

今夜もなんとなく登って空見てた。星がちらちら光ってた。
星とか星座の名前なんかには興味ねえけど、一際凄く光ってたのがあって、こういうとき知ってるといいかもしんねえなァ、と思った。
さすがに寒い。残りの酒、くすねてくりゃあよかった。
この屋根のすぐ下で、ほかの連中が馬鹿騒ぎしてやがる。虚しくなった。

「沖田さーん」
目線だけ下にやると、やたらにこにこしている さんがこっちを見上げていた。
俺は無言だったが、 さんは下駄を脱ぎ捨てて梯子に足をかける。こっちに来ようとしているのは明らかだ。せっかく一人でいたのに。
素足が瓦屋根に触れるのを見て、内心ドキッとした。すとんと俺の隣に腰かける。
少し酒の匂いがした。

「お一人ですか」
「見りゃわかんだろ」

やけに軽やかな口調で、逆に危なっかしい。それにすげえ寒そうだ。なんで真冬にこんな薄着してんだ。わけがわかんねえ。酒のせいで火照ってるんだか、寒いせいか、顔が赤い。


「あんた、いっつも俺の邪魔しに来ますよねィ?」

さんは首を傾げて、なんにもわかってないように微笑んだ。かえってそのほうが良かった。この人は俺が一人でいると、なぜか近くによってくる。川原でさぼってたときも、屯所の裏庭で昼寝していたときも、いつのまにか傍にいる。頼みもしねえのに、近所の猫がどうだとか、この冬は野菜が高いだとか、どうでもいいことばっかり俺に話す。
正直最初は億劫だった。どっか行って欲しいと思った。でもなんか、そのうち、心地良いような、そんな感覚に陥ってしまって、ひそかにそれを楽しみにしていた。あんたが来るといいって、俺、わざと一人でいた。
なんで来るのか知りたい。心の奥底で、俺がほんのちょっとだけ期待していることだといい。


「今夜は、星がきれいだね」
「そうですかい」

さんの藍色の着物が、夜の闇に溶けそうで溶けない。柔らかな桃色の花が、深い藍によく映えている。これはきっとさんのお気に入りなんだろう。あまり着ているのを見たことがないし、普段着より上等そうだった。
なんで今日に限ってそんなのをわざわざ着こんで、こんなところまで上ってきたんだか、わかんねえことだらけだったけど、とにかくその着物は、さんにとても似合っていた。

やっぱりどうしても、少し開いた襟元に目がいってしまう。俺だって男だから仕方がない。酒は飲んでなくてよかったと切に思う。今だって、鎖骨に目がくぎづけだ。ああ、やばい、きっと俺、頬肉がどうしようもなく緩んでる。

なんとこの人はうつらうつらし始めた。果てしなく無防備だ。気づかれないようにそろそろと、さんの指に手を伸ばす。俺のよりちっちゃくて頼りないそれは、指の先が少し荒れていた。考えてみればこの季節の水仕事は、そりゃあ重労働なんだろう。触るか触らないかのところで、やっぱり引っ込めた。
俺の手は潰れたまめだらけだ。いつだって刀握った感触が残ってる。でも、どんなに酷い仕事の後だって、さんはいっつも変わらず出迎えてくれる。それが、なんだか、凄くありがたいことのように思えた。

「ねえ、さん」



言いたいことはいつも、喉のすぐそこまできて引っかかる。自分のことだってのに、痒くなりそうだ。
聞こえてないほうがいい。そのまま寝ちまえばいい。じゃないと俺は、なにも言えない。

当のさんは眠そうなそぶりなど少しも見せずに、まじまじと俺を見つめていた。
もの凄く、おもはゆい。今までこんな風になったことは、なかった。

「なんですか?」

せかさねえでください、俺あ、なに言っていいんだか、わからねえんです。昔っから、俺は、嬉しいとか悲しいとか、こういう類の気持ちを、言葉にできない。
大きく息を吸う。


「……………す…………………………、い、か」
出てきた言葉はこれだった。

「あー、今の時期は、ちょっと無理かな」

ほんとに、なに言ってんだ俺。あんたも、なに真顔で返してんだ。大きく息を吐く。

「忘れてくだせえ今の」
「え、なに?」
どうせ酔っ払いの会話だ。ばかげてる。

それからしばらく、二人でぼんやりしていた。相変わらず星が光ってる。風が冷たくて、酔いはすっかり醒めた。


「沖田さん」
やぶから棒に、口を開いたのはさんだった。

「夏になったら、海に行かない?」

思いがけない言葉に、俺は目を見開いた。さんは歯をちらりと覗かせて、笑った。すいか割りしましょう、とも言った。

全身の力が抜けた。血が巡っているのが、よくわかる。俺はゆっくり瞼を閉じて、顔を両手に埋めた。

「…そうですねィ、行きやしょう」
初めて男を好きになった女みてえに、恥ずかしさで顔を上げられなかった。
「随分先の話ですね」
さんはそう言って、また笑った。
そうだ、まだこれから雪だって降るような時期なのに、なんでこんな。

「…花見にも」
「え?」
「桜が、咲いたら」
「そうですねー、また皆で行きましょう」

皆で、というのに少しがっかりしたが、それでも別によかった。
冷めかけたお湯を飲んだみたいに、胃の辺りがぬるく、満ち足りた気分だった。

「ていうか」



「この前、そこの神社で縁日やってたから、誘おうと思ったのに、沖田さんお仕事だった」

今ほど土方を呪ったことはなかった。


俺があからさまに嫌な顔をしてると、さんは吹きだして笑っていた。
なんかもう、それだけでよかった。



060210