今朝は足元がやたら寒いので目が覚めた。布団の中にいても、床が冷えているのがつたわってきてどうしようもないので、起き上がると、眩しささえも覚えるほどの光が窓から射しこんでいる。
もしやと障子戸を開けると、案の定、庭は、まだ積もってからそんなには時間が経っていないであろう真新しい雪に包まれていた。反射する光に思わず目を細めていると、どさどさと雪の塊が瓦屋根から落ちる。あまりにもそれが大きかったものだから、どう考えても人の仕業に思えて、縁の下に放り投げられた下駄に無造作に足を突っ込んで、庭に駆け出た。しかし素足に凍りかけてる下駄を履くのはやっぱり自殺行為だった。


人影らしきものが屋根の上に見えるけれど、逆光で顔は確認できない。すぐ横に梯子が立てかけてあって、ああここから上ったんだなというのがわかる。「さん」聞き覚えのある声がして、思わず眉をよせて顔を上げると、影がひらひらと手を振っていた。二度三度滑りそうになりながら、その人は危なそうに段をすっとばして、梯子たかたかと下りてくる。にこりと笑いながら「おはようございます」と言う。寒さのせいで真っ赤になった頬がやけに痛々しかった。
「なにしてるの?」
「土方さんに、雪下ろし頼まれちゃったんですよ!」
冬の朝にさらされた空気を吸い込みながら、相変わらず人づかいが荒いなあとぼんやり考える。でも山崎くんは少しも構わない様子でにこにこ笑っていた。
そのときひどくあかぎれた彼の手が視界に映って、半ば衝動的に私は「手袋、してないの?」声かけた。山崎くんはいつもの困ったような微笑みを浮かべながら「大丈夫ですよ」とだけ返して両手を擦る。あまり大丈夫そうじゃないけれど。

彼はいつのまにか私の横に腰をおろしていて、前髪にかかる雪の粒を軽く振り払った。
吐いた息さえも白く凍る温度で、実は誰よりも寒がりのくせに薄着の上、素手で雪にさわって凍りつきそうになっているのはまぎれもないこの人だ。 惹きつけられるかのように私はゆっくりと彼の頬に手を伸ばした。頭の中は空っぽで、なにがそうさせるのだろうという疑問すらも拭ってしまう。山崎くんは驚きと困惑の交えた色を瞳に浮かべて瞬いた。私の手は冷えていたけれど、指先に残ったのは微かな温もりだった。
さん…?」
その私を呼ぶ声は、音の無い世界に浸りながら鼓膜を突き抜ける。それとともに私の心臓を静かに鳴らした。






だいぶ降り積もった雪は、青白い光を受けながら虚ろに存在を示していて、足もとの感覚を鈍らせる。
玄関先の雪はだいぶきれいになった。こんな夜まで他人に雪かきを押しつける土方さんは凍死すればいいと思う。
一息つくと、急に今朝の出来事が頭の中で巻き戻された。シャベルを投げ捨ててぼうっと映るオレンジ色のあかりを頼りに歩みを進める。見えないなにかに後押しされているような気がした。
さんは俺を心配してくれたんだろうか。だとしたら凄く嬉しいし、どれだけこきつかわれても平気だ。
女の人の部屋に、こんな夜な夜な訪ねるのは後ろめたい気がしたけど、今はなんだか許されるんじゃないかと思った。

向こう側はぼやけてよく見えない。微かに、人のいる気配と電球が灯っているのが確認できる。よかった、まだ起きている。少し迷ってからガラス窓をこつんと叩く。「さん」喉の奥をつたったのは情けないくらい掠れた声だった。ばたばたと忙しそうな足音がして、小さな影がそばにしゃがみ込み、結露した窓になにやらひらがなで書きはじめた。
やまざきくん?
「そうですよ」
乱暴に戸が開いて、あたたかな空気と、夜着をまとったさんが勢いよく出てきた。
「やだ、ちょっと、そんな格好で寒くないの?」
「え…」
うっすらと顔を上気させて、俺を見ながら彼女は呆れたように笑う。「入れば?ここは寒いよ」一歩後退して促されて、俺はというとそんな言葉をかけられるとは考えもしなかったから、頭ひとつぶん身長の違う彼女に、思わず口づけた。








060125 以前あったものをくっつけました